アクティブ・ラーニング
アクティブ・ラーニング
あーあ、アクティブ・ラーニング狂想曲
この夏の間 いくつかの場面で、アクティブ・ラーニングについて考える機会がありました。
その一つは、九州のある大学でのFD 研修会に参加したことです。研修会のテーマは、 「 授業改善とアクティブ・ラーニング」 でした。これまでのFD 研修会ですと、「授業改善」だけでしたが、今回は後ろにアクティブ・ラーニングという言葉がついていました。私の基調講演の後、その大学のそれぞれの部局の代表の先生方から、アクティブ・ラーニングへの取り組みの実践が報告されました。残念ながら、乗り物の関係で、実践報告をお聞きすることはできませんでしたが、すでに前向きに取り組んでおられる様子が想像できました。しかし、参加された大学の先生方の間には2つ疑問がありました 「もう大学は 講義をしてはいけないのか」ということと、「アクティブ・ラーニングとはどんなことをするのか」ということでした。
二つ目の機会は、カウンセリングに関する学会に参加したことです。その基調講演でも シンポジウムでも、テーマの後ろに アクティブ・ラーニングという言葉がついていました。一人の 校長先生の質問が印象に残りました。
「私たちの学校はこれまで、『自ら考える 子ども』というテーマで、授業の研究に取り組んできました。これは、アクティブ・ラーニングとは違うのでしょうか」。
三つ目の機会は、ある新聞社の教育論文の審査会の席に参加したことです。国語教育・社会科教育・理科教育・算数科教育をはじめとして、いろいろな教科の実践報告の応募作品のテーマに、アクティブ・ラーニングという言葉がついていました。どうやら
「アクティブ・ラーニングということばがついていないと、新しい実践や研究と思われないのではないか」
と心配している節が感じられました。
アクティブ・ラーニングをめぐって大学の先生方も小学校の先生方も、悩んでいるようです。アクティブ・ラーニング狂想曲とでもいえる現象が起きています。
■ アクティブ・ラーニングの外延と内包
■ アクティブ・ラーニングの定義
■ アクティブ・ラーニングは、万能薬か
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